たまに「あの人は今・・・」的な懐古的な意味で、メディアなどで昔流行した芸能人の現在を取り上げられることがあります。
またインターネットなどでも、「ビフォー(過去)」と「アフター(現在)」の2つを比較して、その変化をチェックしたりするサイトをみかけます。
すると大抵、と言うか当たり前ですが年をとっています。
それはもうひどいほどで、原形を目しかとどめていなかったり、
かつらが上に載っていたり、しわが増えたり、体型が変なところにボリュームが増えて首が太かったり、顔がパンパンになっていたりします。
10年前の写真であれば、当然年齢のほうも比例して10年分タイムスリップしていますので、同じ顔であることはないのですが、この変化を「劣化」「見た目の劣化」とやや馬鹿にしている気がしますねえ。
笑っている人も、自分たちはどうなのか分からないですが、10年前と比較すると中には太ったりはげたりしている人もいらっしゃるかもしれません。
劣化以外の魅力がない芸能人にも問題ありですが、大抵10年たてば芸能人は魅力自体も失っているケースがほとんどであるほどライフサイクルが短いなと思います。
芸能人自体が、「かっこよさ」「かわいさ」を強調して売っていくと言うスタンスなのである意味しかたがない人気の変化なのですが、そういう意味ではお笑い芸人と言うのは簡単に今の自分を売っていくことができるので得なスタンスだなと思うわけです。
変化した自分につれて「ねた」や「売りっていく魅力」も修正、発展、変更できるようなロングランできるビジネスモデルですね。
本来芸能人であっても、老け役、子供役、青年役とそれぞれ魅力を出す演技と言うものはできるはずです。そういう俳優さんも多いです。
今の自分が出せる魅力というか、というか劣化前提で、劣化した自分に出せるビジネスモデルを考えていったほうがいいですね。
たしかに「懐メロ」的に登場する方法もこれまではありましたが、年に2,3回なら稼げるかもしれませんが、それ以上は飽きられやすい傾向があるかもしれません。
歌手でも若い人向けの歌手ほど昔の方法論を踏襲しようとしますが、それは無理がありますね笑
どこか今の若者の感性とはずれてきているはずですから。ぴったりはまると言うことは歌手自身が成長できていないともいえるはずです。
周りのファンもみんな年をとっているのですから、年寄りのための歌を書けばいいと思うのに、無理をして若い人へ向けて歌を書く、それが間違っていると僕は思います。ただ実際歌になって「年取った~♪」見たいな歌は余り聴きたくないですけどね苦笑。表現は歌でなくてもいいと思います、本でもブログでもいい、現在の考えをそのまま発信して欲しいなと思います、一般人よりすでに名前が売れて認知されているアドバンテージがあるのですから。
劣化と騒がれている芸能人を見ると、確かにちょっと以前とは変わっていたり,なんとなく年をとったなぁという気がします.
でもそれって当たり前のことですし、自分もそうなのですが騒ぐほどなのかなという気がしました
中には全然普通に魅力的ですし、女性だったらいい感じで年取ったなーっていう人もいたりします。
はしごに登っていってビルの上にいる人に劣化と言って帰ってくるような感じかもしれませんね
確かに劣化とやれば劣化なのですが、他にやることあるがあるなーと自分で反省したりしました。
批評したり、劣化劣化と騒いでいる間だけはなんとなく横同一のラインで、いられるような気がしますが、自分の生活などは何も変わってないことに気がついたからです。
もちろんわざとそうやって噂も盛りたてて、人の注目を集めたい芸能人も中にはいるのかもしれませんが、人の人生に興味持つのはいいですが、自分の人生を忘れてしまったら本末転倒かもしれませんね。
ちょっと否定すれば、批評した気になったり、それ何か自分が偉くなってない気がしていましたが、終わった後、虚しさが残っていたのはそのせいだったはずですね。
自分は何もせずに偉くなるには、偉い人を否定するだけでいいので、簡単で良いのですが、このお手軽なパターンにはまっていた自分になかなか気づかなかったので、反省すべきだなと思いました。
偉い人を否定するよりも、自分より偉い人から少しでも学んで、それを取り入れて長期的には自分が偉くなったり、あるいは偉くならなくても自分の人生に生かしていった方がほうがメリットが大きいですね。
何でもそうですが、長期的に自分の価値を上げるためには努力したり、日々やるべきことを計画して実力アップする必要があるわけですが、今すべき事は、そういった長期的な実力アップ,有名人や芸能人への嫉妬や野次馬で時間を浪費したり、不満を解消しなくていいような生活の実現なのかもしれませんね.