映画やドラマにはまっているときはあまり意識しないのですが、現実を生きている際に、メリットになる面とデメリットになる面があるかもしれません。
映画のほうが楽しい?
現実世界が変わらないのに、映画やドラマを見ることで
「いやドラマのほうが面白いですよ」
「何が悪いんですか?」
「そこそこ満ち足りています」
という人もいるかもしれません。
でも、本当に楽しく変えていくべきは「自分の日常に楽しみを増やすこと」のはずです。
ドラマを見ていれば確かに楽しいですが、それよりはるかに割合の多い、現実の生活を改善することをメインにしたほうがベターかもしれません。
それとも現実世界のほうはもうあきらめたのでしょうか?そうでなければ優先順位も変わってくるはずですね。
得られるもの
映画やドラマにはすぐれた先人のエッセンスや、現実世界の縮図をうまいたとえで短時間?見せてくれる点はメリットも多いです。
また、結局現実世界を投影した世界ですので現実世界となんら変わらないはずという見方も確かに可能ですね。。苦笑
ところが、
「現実世界がそれで何か変わりましたか?」
と聞かれても
「定量化するものではない」
「心が豊かになった」
「感動できたんだからそれでいいのは?」
という答えが返ってくるかもしれません。
本当に現実を変えるほどのメリットがドラマや映画にはあるのでしょうか?
すくとも日常をストップさせて、日常を変化させるかどうかは視聴者本人にかかっている面もあるはずです。
現実世界で変化したいことが多い場合は多少のヒントにはなるかもしれませんが、むしろ自分の現在の状況のほうをじっくり見たほうが得られるものは多いかもしれません。。
失っている時間
気分転換、今後の生きかたのヒントなど、有意義に使っている場合ももちろんありますが、
ドラマ 12回×1時間=12時間
映画2時間~2時間半
これに。映画館なら行きかえりの時間(数時間)や、DVDなら購入したり検討する時間(30分)などを含めると、あなたの人生、出会いのチャンスを奪っていく可能性もあるといえるかもしれません。
人生や世界のすばらしい面をみるなど、よい面も確かに多いですが、
・奪っていくもの
・台無しにしている
と普通に後から感じることもあるかもしれません。
とくに、よほど日常時間が自由になって時間が余っている人を除いては、
・資格取得
・やりたい目標の準備
・恋人や友人を作ったり、リアルの世界で交流できたはずの時間
は激減するかもしれませんね。。苦笑
つまり、あなたの人生はドラマや映画を見ているうちに改善するというよりは、むしろ実質的には時間と機会を失って、長期的にはマイナスになっている可能性も考えられるはずです。
何も実際の自分の人生が改善しなければ、普段の現実の世界も、好きなドラマを見ることもだんだん楽しくなくなってくるかもしれません。
得るもの、失うもの
本来自由な時間に何をしても個人の勝手なのですが、失っているものが多い場合は考え直したほうがいいかもしれませんね。
感動中毒
ドラマや映画の中に感動の要素は多くあるはずです、ところが現実の世界で感動を感じることは、なかなか感動を自分が意図したとおりに、現実で起こすことは難しいケースが多いかもしれません。
・告白すれば自分の魅力不足で振られます。
・髪型やファッションはドラマ主人公ほど決まりません。
・都合よくヒーロー、ヒロインに出会いません。
・何をすべきか目的すら見つかりません。
・仲間はそれほど親しくなれませんし、長くは続かないかもしれません。
・お金が一番大事な選択基準になっていることもあります。
・人生楽しいよりもつらいことがおおいかもしれません。
これら、多種多様、十人十色の悩み事や状況、1つの同じドラマ(答え)をみることで解消するでしょうか?
自分の悩みはドラマや映画を見ている間に、自動的に解決するでしょうか?
単に余所見をしている時間だけのケースも多いかもしれません。
車を運転している最中に、ときには車を止めて休憩することも大切かもしれません、ところが運転することを忘れて、余所見をしている時間は減らしたほうがいいはずです。
すくなくとも本来の自分のすべきこと、解消すべき悩みの解消に使ったほうが自分の人生が改善していく確率は高まるかもしれませんね。
日常で不足している勘定の寄せ集め
日常生活で日々不足していた感動を映画、ドラマで補っているうちに、時間もたちますし、少年はいつしか中年になっていくケースもあるはずですね。。苦笑
僕はよほど時間がある人を除いては、映画やドラマにはまることは弊害も多いと思っている感じです。
単純に、実際の生活で話をしても、パターンにはまっていて、つまらない人も多いかもしれません。
「そのせりふや考え方、主張自体、どこかで聞いたことがある。。」という感じです。苦笑
解消して満足してはいけない?!
恋愛の満足感をドラマや映画で得た視聴者は、それをきっかけに実際に自分も異性に働きかけをスタートする勇気をもらうかもしれません。
ドラマや映画にはメリットがたくさんあるはずです。
しかし、
中途半端に解消して、何か自分も1つ成し遂げたような気になっているとしたら、
・実際は何もやっていない
・単に気持ちよくなっていただけ
・いすに座って、テレビを眺めていただけ
のケースも多いかもしれません。
つまり
・実際の人間に触れた気になったまま、言ってみればウソの達成感に感動し、現実世界での評価はある意味バカまっしぐらの人も中にはいるはずです。
映画人格、ドラマ人格
ドラマや映画は、構成や表現方法にある種のセオリーがあり、視聴者があこがれる存在を、ドラマチック(劇的)に見せる手法が確立されていますね。
登場人物を演じる俳優さんに観ているときは恋をしたり、行動を見て自分もがんばらなきゃ、と思わせるところは人間の感情を揺さぶって、感動させているといえるかもしれません。
理想を追求するデメリット
ところが実際にそういう人物がいるケースもありますが、ほとんどの作品はフィクションでバーチャル、架空の存在で、設定や状況も極端、特殊なケースが多いはずです。
たとえば物語、ドラマの作者が作品中で夢や希望をうたっていたとしても、その作者が実際にそういう日常を送っているかというと、本当のところはわかりませんし、むしろ正反対の生活に強烈な憧れがあって、そのことが作者やドラマ映画製作スタッフの強烈なモチベーションになっているケースもあるかもしれません。
過去も現在も常に満たされて大満足な作者がドラマに必要な不幸を想像して書くことは困難なはずです。
つまり、ドラマ制作には不幸な人が携わったほうがリアリティのある、面白い作品になる面もあるかもしれません。。苦笑
・恋人の病気にも愛を貫き通す
・お金がなくても大丈夫という信念を持つ
・どんなことも実現するという信念を持つ主人公
・仲間の大事さを。貫き通す
ドラマ制作者の意図
ドラマ制作者が無意識にせよ、刺激しているのは、視聴者に足りていないものかもしれません。
・お金がない
・恋人がいない
・見た目もアイドルではない
・仲間もいない
・語る生きがいはない
・すぐあきらめる
こういう裏返しの視聴者をターゲットに、裏返しの作者が携わっているケースも多いかもしれません。
つまり裏返しの手法を使って、そこから状況や背負った環境をひっくり返すことを12回なら12回、2時間なら2時間を使って、これでもかと話を作っているはずですね。
ですので、最後には主人公はハッピーエンドで終わることが多いかもしれません(アンハッピー出終わる作品はまれですが、何か訴えたいテーマがある作品ほど、アンハッピーにしてでもあえて真実を描こうとしているケースもあるはずです)
僕もどちらかというとどこかにアンハッピーの要素を残した作品ほど、作者の読者に対する誠実さ、生きていく勇気を与えている気がするかもしれません。
アンハッピーだが学ぶ点がある作品
本来ドラマは、何をいいたいか、メッセージを伝えることがひとつの目的のはずです。
ところが、通常ドラマ視聴者にストレスを与える「アンハッピー(不幸)」をドラマの結末にするからには、作者に強い信念があるせいかもしれません(多くの作品はもちろん商業的成功を目指して製作されますが、第2番目の目的という意味です)
1・鑑賞者に気持ちよくなってもらいたいが、本質を伝えたい
2・鑑賞者に気持ちよくなって、お金をいっぱい使ってほしい。
アンハッピーな映画や作品、漫画ほど、前者の
1・鑑賞者に気持ちよくなってもらいたいが、本質を伝えたい
が多いかもしれません。
逆に、売れれば鑑賞者がどうなろうがあまり気にならない、今幸せな気分にさせて、現実で失敗してもそれは本人のせい、厳しい現実をむしろ目隠しして、ドラマや映画で浮かれてもらえば十分と考えているケースもあるかもしれません。相手も仕事で制作していますからね。。苦笑
2・鑑賞者に気持ちよくなって、お金をいっぱい使ってほしい。
これがドラマを拡大再生産するためにも第一の目的といえるかもしれません。
アンハッピーな現実
知らない世界や起こりうる不幸を避けるためには、ある種アンハッピーな映画やドラマのほうが役に立つかもしれません。
そこに視聴者に対する、製作者の愛さえ感じるはずです。
・自分のアンハッピーを毎回再認識させられる
・お前は駄目だと諭される
・テレビや映画を見てる場合じゃないだろと時には気づかせてくれる
そんなドラマに愛を感じるかもしれません。