他人のために頑張るべきか、自分のために時間を使うべきか

・親の愛は無償であるべきか?

・親孝行を際限無くすべきか?

・他人の痛みも自分の痛みか?

理想を言えばきりがないのですが、他人のために動くにせよ、自分のために動くにせよ1日は24時間と決まっています。

中には、誰かのために何かをして、それが損したと思っているうちは、その人に対する愛情は無いという言葉もありますが、本当にそうでしょうか?

相手を助けることで必ずしも100パーセント相手の幸せにつながるか?

必ずしもそうとは言えないケースもあるはずです。

例えば、

相手は嫌々仕事をしている ⇒ 自分はその人ガ仕事をしやすいように代わりに身の回りの世話を助ける

相手はいやな仕事をますます続ける ⇒ 自分もだんだんしんどくなってくるが、我慢してその人を手伝う

身の回りの支度を自分でしない、かつ、いやな仕事を続けている人の完成

というだんだんあまりよくない方向へ下がっていくループというのもあるかもしれません。

この場合は

手伝う事は一見短期的には良い事かもしれませんが、長期的には自分も相手も続かない可能性が高いはずです。

とはいえ

お子さんを持つご夫婦は、不本意でも現在はこういった働き方をなさっている方も多いかもしれません。

全く何の我慢や人並みの苦労をなさらないで、子育てをしているという人は少ないはずです。

本来どうすれば楽に仕事をできるか考えることも手伝うべき

ではどうのように手伝えば、その相手も自分もお互い楽になるでしょうか?

・手伝うなら何に原因があるか客観的な視点から洗い出す作業を手伝う

・どうすれば、他人も自分も幸せになれるか、結果につながる行動を小さなことてもいいのでフォーカスして見つける

目的地を手伝う前に最初に文字で表せる形で決定しておく、具体的に誰にでもわかるような目標を設定してからはじめる

・どうしても相手の補助が必要な場合も、2人の幸せの総和が最大限になるように自分を必要以上に曲げたり、卑屈になって負担を増やすのではなく、今やることで最大限の結果を出すために、自分の中で行動の優先度を決める

本来人を助けるという行為はまず自分に余裕があるべきなのですが、そもそも相手のために何かを我慢していると思った場合は、方向性がずれていたり、目標がばらばら、やる価値を見出せていないケースも多いです。

たとえば

「自分は南極へ行きたい」

と思っているのに相手は

赤道 付近でのんびりしたい」

と思っているようなものですね。

この2人の関係は無理やり相手に付き合わされて

どちらかが我慢して付き合っている関係といえるはずです。

やみくもに何でもかんでも手伝うのではなく、2人の目的地や向かっている方向、目標が異なる場合そもそもの原因を取り除くことで、他人と自分の共通する目標を目指した方が行動に無駄なく、たとえ小さな前進の積み重ねであってもトータルでは得られるものが大きくなっていくはずです。

それができれば苦労しないよ、簡単に言わないでという場合もあるかもしれませんが、

まずは自分に出来る事はその相手を客観視するひとつの鏡になることかもしれません。

・その仕事は向いていないですよ

・その仕事を続けていれば、働き過ぎで体を壊しますよ

・他に行けばいくらか別の方法があると思いますよ

といってくれる他人がいた場合、自分の間違いを一緒に考えるきっかけにすることができるはずです。

また、間違いを指摘されてばかりも困ります腹も立つでしょうが、具体的解決策が欲しい場合には、ただのイエスマンがそばにいてもあまり役には立ちませんのでまずはどんどん気づいた点は伝えるのもいいかもしれません。

幸せの総量を増やすために

相手のことや、相手の幸せ、そしてその中で自分の幸せについても同様に考えるというのは、単に相手のやりたいことや、やっている内容に対して毎回毎回同調することではないケースが多いです。

むしろ相手が対立して、考え直すことを要求したり、よりよい生き方を追求したり、ダメなところはダメだと思うと正直に教えてあげることも愛情とは言えないでしょうか。

親子の関係でも、

○○ちゃん偉いわね

だけで子育てできるほど子育て甘くないはずですね(笑)

厳しく叱るべきところはしかり、褒めるべきところは褒め、悩むべきところは一緒に悩み、そしてその結果、苦労すべきところは苦労する。という手順が必要かもしれません。

つまり、双方で苦労すべきという認識は一致してからスタートしていることです。

・相手の喜びはいつも自分の喜び?(自分の周囲の人全員を幸せにするのは限界があるケースが多い)

・相手の幸せは自分の幸せ? (目標を共有する価値がある相手かどうか)

・相手の苦労は自分が肩代わりすべきか?(いつまで我慢すれば大丈夫そうか)

1+1=2以上に

1+1が2になるのは当たり前なんですが、仕事は会社の場合、また家族の場合は、誰かが支えてくれることで2より大きい価値を生み出すことも可能なはずです。

たとえば、

子どもを育てるというのは、両親から3番目の価値(子供)を生みだすようなものかもしれません。

1+1を昇華させて価値をさらに上げている感じですね。

人間は1人ではできないことがありますので、この場合は誰か助けを借りることも必要です。

しかし自分がその犠牲になっているかな、助けることも疲れてきた、しんどいと感じる場合は

この

1+1=2のままだったり、

ときには

1+1=1

1+1=0

1+1=-1

の結果しか生み出していない場合には関わり方や関わる目的、関わる期限を決めたほうがベターかもしれません。

数字では測れないような無償の愛も確かにありますが、無償の愛であるとしても、イメージとしては2人の間の幸せの総和(数字)がより大きくなるようにもっていったほうが、関係が長続きしますし、工夫を重ねることに意味や価値を見出しやすいはずですね。

現状に満足や感謝はしつつも、問題点は見過ごすのではなく、不要な苦労までわざわざすることにあまり価値はないですので、現状甘んじるだけが手ではないと言えるはずですね。

・何でも同意しない

・指摘すべきは指摘する

・楽になることは楽な方法

代替手段を見つけることにフォーカスする

と言えるはずです。

いま川へ行って洗濯板を使って、毎日洗濯している人は少ないと思いますが、

世の中には洗濯機というものもありますよということを知らない人には教えてあげるべきですね。

また結果的に

そちらの方が自分も一緒に洗濯板を使って洗濯をしてあげるよりも楽になりますし、

自分の時間は増えて労力も減るはずです。

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