■逆切れする人の特徴
知識がないことを指摘すると切れる
知らないことを教える場合にも
教え方が気に入らないと切れられるケースがあります。
たとえ相手がその指摘によって生活が改善するような場合でも
なぜか指摘、アドバイスした側の態度がよくないと
一方的に逆切れされてしまうといった感じかもしれません。
・性格が変わったように切れられる
・数百メートル先の周囲にも聞こえるような大声で怒鳴られる
・震えるような声で怒り心頭の烈火のごとき表情になる。
・感情を抑えられないといった様子が子供にもわかるぐらい、心のどこかで冷静に周りが引いている状況、引くだろうという予想がない
たしかに自分が知らないこと、まったく気づいていない点を指摘されるのはあまり気分がよくないです。
しかしそれが本当に自分のためになることであれば、
論理的に正しいか、間違っているかは
切れない人であれば判断できるはずです。
つまり
・論理的にまったくおかしい人
・論理的におかしくなっている状態
が逆切れといえるかも知れません。
切れる人の特徴は
仮に
A=B (論理的に正しい)
という問題があった場合には
A=Bですよ
とアドバイスするだけで切れられたりします。
なぜなら
単純にA=Bをみとめたくないぐらいわがままだからという理由だったりします。
では逆切れする人はどのように考えているのでしょう?
逆切れする人の考え方
まず、こちらが
A=Bであることを指摘します。
すると
A=Bであることをこころの中で気づいたとしても
こいつならA=Bであることを否定して押し切っても大丈夫だろうという
態度に出てくるケースがあります。
・なめてかかっている
・体格、力の差を自分が上と思っている
・自分には後ろ盾があると思っている
など
要するに力の差で論点をごまかしたい、
問題点のうやむや化です。
うやむや化することで得られるメリットは
・謝る必要がなくなる。(上下関係を上のままにしたい)
・感謝の言葉をかける必要がなくなる(上下関係を上と思いたい、思っている)
・自分が教わる立場、弱者であることを否定できる。(ない知識をあるかのように見せたい、虚勢)
・そもそも気分が悪いことを相手のせいに転嫁できる。(たとえ持続性がなくても、気分よく過ごすことが最優先)
・また単に論理が通ってなくて切れやすいめちゃめちゃわがままな自分に対して言い訳できる(性格や行動を変えなくてすむ、あるいは変えるにしても自分で気づいて変えたと錯覚したい。自分を賢いと思いたい)
というメリットがあるはずです。
■逆切れされた場合の対処方法
直接的に手を出されることなどは論外(これには毅然とした対応が必要になってくるケースが多いです)ですが、相手を元の土俵に戻すのも一つの手かも知れません。
逆切れして怒る人はその方法で
これまでの人生で何らかのメリットを得てきている場合があります。
ですので、ここぞというときの対応も
選択肢の一つに逆切れというカードを出してきたはずです。
相手にしない、
逆切れされてもあっそという態度で怒るものは怒らせておくしかないかも知れません。
たとえば
子供がおもちゃ売り場で寝転がって買って買ってとだだをこねるように怒っていても
放っておく。
逆切れしてくる人の特徴は
「私を怒らしてきたそっちが悪い、思い知れ」
「いつもいつもだから話をしたくないんです、口のきき方に気をつけろ」
「いっさい今後話しかけてこないでください、気持ちの負担になるんです」
的に感情論でぐいぐい迫ってくる場合があります。
しかしすこし冷静に考えると、これらはどれもA=B(論理的に正しい)とまったく次元が異なる話であるはずですね。
どれもただの相手の感情です。
感情は長続きしません。
そして疲れたころに
元の話に戻るのです。
(ただしけんかになる場合がありますので、その場を離れるのも一つの手です)
「そうですか」
「その話がA=Bと何の関係がありますか?」
「A=Bの反論、意見を聞きたいのですが」
と元の話に引き戻しやすいはずです。
(本気でちょっと。。な人の場合は、声をかける前に見た目で判断するか、さっさとその場を立ち去ってしまったほうがベターかもしれません。怪我をしてしまっても得られるものは何もありません)
本気でいっても伝わらない相手は居ます。
そういう場合は
A=B(論理的正しい)は正しい。
相手は感情論で押し切ろうとしているだけ、
けんかになっても得することは何もない。
そもそもA=B(論理的に正しい)の正しさは揺らがない。
と思った場合には
静かに立ち去ればいいだけですね。
今回は相手が悪かったと反省すべきかもしれませんが、
「あんなこと言ったけどいいかたがわるかったのかなあ?」
「切れるだけの理由があったのかなあ」
「指摘した自分って配慮が足りないやつ」
などと必要以上に自分を責めたり、
自己嫌悪をする必要はないはずです。
どんな言い方をしても
きれるタイプの人は切れるケースが多いですし、
相手はただ
・無知であることをごまかしたい
・相手よりも下と思われたくない
だけの場合もあるはずです。
そういう人を相手にして上か下か、従わせるか、みたいなことに
貴重な時間を使うのはナンセンスかもしれません。
あなたは指摘するほど重要なA=Bをひとまず伝えることには成功しました。
相手がどう変化球で返しこようが、こちらのA=Bへの信念をもっていればいいはずです。
あなたの価値も揺らがないですね。
相手は柔道で投げられ完全に一本をとられた(決まっていた)としても
「まだ生きているから負けてない」
「不意に投げてくるからいまのは反則だ」
「投げるときの態度が気に食わないからそちらが謝れ」
と言っているようなものです。
わかる人にはわかります。たとえわかる人がそばに居なくても自分でそう整理しておけばいいはずですね。
補足 論理的思考力の問題
論理的思考力がない=「柔道のルールも身についてない相手」
といえるはずです。
こういう場合は柔道の試合にもなりませんので、論理的な思考方法が身についていない相手の説得は必要以上に時間がかかると心得ておくべきです。
論理的な思考が不足している相手というのは、たとえば書籍や著名人の言葉を丸呑み(そこに論理と呼べるものはない場合も)して信じていたり、根拠や実証に乏しい考え方を信じ込んで居たりします。
かかわるだけ時間の無駄な場合もあるので、相手の傾向(論理的思考力が不足している)が見えた段階で、これは柔道の試合ではない、たんに迷信を信じきっている相手との果てしない雑談になってしまう可能性が高いと判断する必要があるかもしれません。
決着も論理では話が終わりませんので後味悪いものになることうけあいです。。
たとえるなら論理が身についていない小学生同士の水掛け論に近いかもしれません。
「お前が間違っている」
「理由は?」
「理由などないお前が間違っているから」
「こことここが論理的に無理がありますけど。。」
「理由は私が信じているからよ!もう何度言ったらわかるの!お前が間違っている」
「・・・・・・(ふう~)」ため息
そこに何の論理性も、知性も感じないことでしょう。徒労に終わり、虚無感も半端ないはずですね。。
なおかつ相手から
「空気が読めずに、アドバイス、指摘の仕方も心得ていない、口やかましい人」
と思われるのがオチでしょう。
関わるだけ時間と労力の無駄ですね。
あなたの将来にその人はいつまでもはいないでしょう。
距離を置いて、過去のものとして流していきましょう。