他人の不幸に共感すべきか?

■他人の不幸に共感すべきか?

慣性の法則が働いている

たとえば

・あまり豊かとはいえそうにない生活を送っている人
不本意に朝から夜遅くまで会社で生活している人
知識不足から損をしているように見える人

こういう人を見るとほうっておけなくなる人も中にはいるかもしれません。
とくに自分が損はしないのですが(多少は影響を受ける場合もありますが)

サービス精神や善意で

「なんとかしてあげたい」
「Aという方法もあることを示してあげればすこしは力になれるのではないか」
「そもそもこういう生活をする理由はなんだろう」
「どういう考え方でこういう生活になるのか知りたい」

という気持ちが芽生えてくるタイプです。

おせっかい、ともいえますが、相手のためになる指摘が出来る(そもそも風通しよくものを言える状況を作り出してこなかった人の場合は)のは本当はこういうタイプを除いては居ません。
周りの人は当たり障りのないように持ち上げて、適当に付き合っている仲間?ばかりのケースもあるからです。

つまりたとえるなら

慣性の法則=人も今の状態でありつづける(惰力で動く)ほうがもっとも力が要らない

だめなものはだめであり続けるほうが、変化するために努力するより、相手にとっては楽なのかもしれません。

また

せっかく手に入れたものより(現在)、よりすばらしいものになるかわからない変化(未来)を拒みたいという気持ちもあります。

こういう態度に共感すべき点はあるのでしょうか?

またこういう態度に共感ばかりしていたら、自分はどういう人間に変わってしまうか考えて見ましょう。

おそらく、プラスの変化よりもマイナスの影響が気になるところです。

「相手を見てもやっぱり現実は厳しいんだな」

「自分も同じような失敗を思想で心配になってきた」

「世の中はこういうものだからあきらめるしかないのだろう」

という気分にだんだんなってくるでしょう。

「反面教師にしてがんばろう!」

「根拠ないネガティブ思想に触れても、自分は全然影響なく、ポジティブでいける!」

「ネガティブなマインドに触れるほど、逆にパワーがみなぎってくる!」

なんて人は少ないはずです。

ネガティブになるにはネガティブな原因があるはずです。

またこちらの価値に気づかない相手

そこまでして変えてあげたいですか?

変えられない相手の特徴

まさしくその相手の意見を聞かないという態度や自分の中のルールが
現状を作り出しているということを本人が身にしみてわかるまで
意見やアドバイスが相手の奥まで入っていくことはあまりないはずですね。

ときには

「自分の方法を変えるくらいならこのままでいい」
「かわいそうと思われ相手に頭を下げるくらいなら今の状態を幸せと信じたい」
「とにかくアドバイスされることが苦痛で苦痛で、アドバイスしてくる人を死ぬほど嫌いだ

と思っていたりします。。
ドヤ顔=「どうだすごいだろうという表情」という言葉がありますが、

ドヤ顔でアドバイスなんてしちゃって何様のつもり

程度は相手は思っているかもしれません。

倒錯した相手だとさらに

かわいそうなのはあなたのほうよ

とこちらの痛くもない腹を探られたり、無理やり見つけたようなアラを探してなんだか勝ち誇ったような顔をされるケースもあるかもしれません。

アドバイスに対して、変化球でお返しをされるわけですね。。

不幸の渦に巻き込まれるべきか?

たとえばあなたが小学1年生の教師だったとして

もし小学生から

先生、1+1=4です

だから先生は間違っています

「自分は絶対4だと思います。考え方は絶対変えるつもりはありません」

「1+1=2だとを教えようとする先生は間違っています」

と指摘されたらどうするでしょう?

ア然としますよね?

いかに合理的に、論理的に

1+1=2であることを伝えようとしても

小学生が絶対4であることを主張しています。

3~6ヶ月たってもまだ1+1=4であることを譲らないとします。

この場合、

・相手には理解力がない(論理力、国語力、単語力、知識全般)
・また先生から学ぶ気もないかもしれない
・その後学ぶべき中学数学などむずかしいことでさらにつまづくことが予想できる
その子の人生はその子のもの

と割り切ることももしかしたら必要になってくるかも知れません。
数ヶ月たっても譲らないのですからしかたがないですね。

また将来、たとえば中学数学のことは本人はまったく視野に入っていないケースも多いです。

「中学数学は中学数学のときに何とかなる」
「ただ1+1=4であることは譲らない」
「先生の言うことは絶対間違っている(と信じている)」

と間違った自信ポジティブ思考を持っている可能性もあるはずです。

一つのアドバイスが全体、すべてにつながっている

ということを相手は理解できない人なのかもしれません。

今回は小学生を例に挙げましたが、大人でも同じかもしれません。

相手の辞書に論理的思考の考え方や基本が頭にない人に

論理的思考で考えましょうといっても無理なのです。

それ以上は考えられないのです。
思考も深化しないのです。
完全ストップ、ほとんどシャットアウト状態のはずです。

いくら論理だてて説明しても(コレが相手の言い分も聞きながらとなると時間が半端なくかかるでしょう)
間違いにすら気づかないこともざらにあったりするかもしれません。

相手は
・変化すること
・指摘されること
が死ぬほど嫌いな人たちだった場合のことも考えましょう。

右から左へアドバイスはスルーされていく。
時間は論理的な相手よりも2,3倍かかる。
感情的にしか反応できない動物のような攻撃反応を示す。

などあなたにとって何のメリットもないはずです。

小学1年生、あるいは相手の働きかけに対して何でも自分攻撃されていると思い込む動物(失礼ですが言葉の通じにくい犬や猫的な)が相手だと考えれば、相手が理解できないことをすこし離れた視点から、理解すべきであることを感じるのではないでしょうか?

またあたりかまわず逆切れして大声を出されては、あなたの周囲の環境からの評価も下がるはずです。

不幸には不幸の理由があるケースもあります。

その理由は相手には誰かに伝える力はありませんし、こちらが伝えても理解する力もありません。

この場合は、あなたにできることは実質ゼロなのです。

聞く気がない小学一年生に教師でもないのに1+1=2の正しさを教えてあげる義理もないかもしれません。

たとえ相手のためであっても
できることは実質ゼロなのです。

あとは消耗の連続になる可能性が高いです。

そもそもなぜ相手を変えたいのか?

そもそもなぜ自分を相手を変えたいのでしょうか?

・相手が変われば自分が生きやすくなる。
自分の力の有効性を知りたい、たしかめたい
・自分が相手を変える論理性も持っていないと落胆したくない。。等々

しかし本当の相手の幸せとはナンでしょうか?

完全に相手の生活や人生の幸せなどを理解することなど可能でしょうか?

そもそもあなたが考えている相手の実像は、あなたの思っているとおりの人物像なのでしょうか?

相手は変わらない
相手は変わってくれない
相手は聞く力も十分ではない

ことがわかりました。

あなたならどうしますか?
まだ相手をしている余裕はあなたにはありますか?

その人間関係から去るときがきたのかもしれません。

また、もっと自分のためになる時間の使い方があるのではないでしょうか?

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