■ 他人に自分を理解してもらうことは可能か?どこまで他人に理解される必要があるか?
誰かの反応が思わしくないとき、どうやったら他人に自分を理解してもらえるだろうと考えます。しかし
「それは本当に絶対必要なことだろうか?」
「そんな他人に理解してもらうことなんて根本的に可能なんだろうか?」
「他人に理解されるために時間を使うなんて、どうだっていいことじゃないだろうか?」
と考えられるケースも多いです。
100パーセント理解させることなんて、これまで自分が行ったことの原因、結果、考え方を伝えることなど、完全に伝えることなど不可能に近いからですね。
何をどこまで相手に伝えて理解してもらえばいいのだろうか?
・相手の許容量(年齢、高齢者、性別、生活の忙しさ、性格による)
・相手の態度(相性、これまでの2人の経緯、トラブルの有無による)
・これからの関係性(将来的に協力関係があるか、依存関係の有無)
によるかもしれません。
なかでも
A・これから将来的に親しくなっていく関係
B・だんだん(おそらく)疎遠になっていく関係
この2つの違いは大きいです。
もちろんAとBは交わったり、複雑に絡まったりはしますし、10年後に旧に親しくなる可能性もあります。
しかし基本的に
B だんだん疎遠になっていくことを希望している関係
の場合相手のことを知りたいとも思わないケースが多いです。
むしろ目の前に居なければ気にも留めていない場合もあるでしょう。
人間はなぜつらいと感じるのか?
一つには他人の目線があります。
「恋人が居ない」
「結婚相手が居ない」
「お金があまりない」
これらは単体でもそれなりに危機感を感じる人もいるかもしれません。
しかし
単体(本人だけ)でとらえている段階では
「まあいっか」
「こんなもんだろう人生なんて」
「スルースルー」
的に考えて生活している方もいらっしゃるかもしれません。
しかし他人の判断基準が入ってくるとそう心穏やかではいられません。
「恋人がいないと思われたら恥ずかしい」
「結婚相手がみつからないで結婚できないと思われているのが嫌だ」
「スルーしようと思ったがどうやら自分は周りと比較すると大分レベルが下の生活を送っているな」
と感じ始めるケースも多いはずです。
つまり他人の目線、ひいては他人の評価で苦しくなっている状態です。
他人の賞賛とまではいかないものの、ニュートラルに見てもらえるレベルを人は目指そうとしているのかもしれません。
「結婚したい」 ⇒ 結婚目指して行動しよう
「恋人がほしい」 ⇒ どこか出会いを探してみよう
「もう手後れかな」 ⇒ いやいや、このままあきらめたら回りの笑いものになってしまうかもしれない
と他人の目線は修正力を持っているとも言えるはずです。
つまり他人に理解してもらおうと説明するより
自分の行動を変えて、他人の評価がそれほど低くないラインを目指そうとする感じですね。
他人の評価が気にならない状態とは?
1・現状、たとえばオリンピックを目指すスポーツ選手のようにものすごくがんばっていると自覚できる人
あるいは
2・完全に世捨て人のようにどこに住もうが、恋人や結婚相手などいなかろうが(というかあきらめきって)ある意味悟って生活できる人
のどちらかになるかもしれません。
自分が目指す方向によって異なりますが、
1を目指せない場合は2を選ぶことになるかと思います。
現在他人の評価が気になる人は
まだ2にはなりきれて居ない段階です。
それはむしろ可能性が残されていると自覚できている証拠ではないでしょうか?
自分の可能性を信じている、あきらめ切れていない状態。
他人の評価を気にせず生きることは可能か?
他人の評価が気にならなくなったら、たとえば、芸能人は生きてはいけないでしょう。
・化粧、おしゃれはしない
・テレビで何を言うかも決めていない
・周りの評価を気にせずテレビに出続ける
そんな芸能人が存在し続けるなど不可能に近いはずです。
やはり
・人並みにおしゃれをして
・相手に合わせて話をして
・会社に行くか、趣味のサークルにいく、あるいは家族と暮らすかは知りませんが、だれか他人に関与し続けようとする
それこそが自分が存在し続けることを可能にするのだと思います。
2 世捨て人になる
これには目からうろこが落ちるような体験や気持ちとは対極にあるような気がします。
それはそれでなってみればやれるものかもしれませんが、なかなかやり切れるものでもないでしょう。
快感情 ー マイナス感情 >0
であれば良しとして他人と付き合っていくことはつらいこともありますが、できるだけ他人の評価にかなって、なおかつ自分も楽しめる(おしゃれや、自分の力で出来ることたとえば、おいしい料理を他人のためにたまに作ってあげる)こと、それを続けていくことが嫌なことが多い他人との人間関係をひと時楽しいものに変えてくれる力を持っているのだと思います。
月並みですが「付かず、離れず」ちょうどよい距離で他人の時には厳しい視線と共存していく必要があるのではないでしょうか。