■ 不快な相手に対処する方法
不快な人物は避けがたいこともあります。
たとえば身近な人である場合もあるからです。
とくに仕事で疲れている人物は扱いが難しかったりします。
こちらには何の原因がなかったとしても、すでに帰宅直後から不機嫌だったりするからです。
仕事で疲れているのか不快な人物に仕上がって帰ってくる
仕事が不機嫌製造装置であるかのように、非常な不快な人物に仕上がって(なって)帰ってくる人がいます。
原因としては
・仕事がうまく行っていない
・オーバーワーク、オーバーペース
・加齢による体力の衰え、自信の低下
・先行きの不安感
から非常に他人から見れば不機嫌に見える人物もいるかもしれません。
不機嫌=不快な人物であることも多いはずです。
帰ってきていきなり八つ当たりのような行動に出られると、
わかっていてもなかなか「おつかれさまでした」という気になれないこともあるかもしれません。
不快な人物は行き詰まりが近いことに気づいている
その先に希望が見えているうちは人は他人にも寛容になれるかもしれません。
しかし、この先に行き詰まり、体力の低下、加齢による限界を感じたときに、人は物事を投げ出したくなったり、人から見れば理不尽で横柄な態度をとってもそれを平気だとかんじるようになる場合もあるはずです。
自力で解決するのを待つか?アドバイスしたほうがいいか?
たとえば最短距離で出来るアドバイスがあったとします。
こういった人物は「人やほんのアドバイスを聞きません」
だからこそ現在の状態になっている面もあるかもしれません。
うまくいっているときは、(それがたまたまであったりもするのですが)自分の力を過信しすぎてしまう傾向があるといえるかもしれません。
逆に
うまく行っていない場合は、(それが自分の性だったりもするのですが)他人のせいにしたり、人のアドバイスを軽視したりする人物も中にはいます。
1対100で苦労するような道であっても、我流でやることにこだわるのです。
時代が自分の考えにマッチしている場合はよいですが、時代は変わります。
また加齢などによって、時代にマッチさせるための感度も鈍ってくるケースが多いです。
そのずれを感じ取る感受性自体も同じように退化していくので、いってみれば現状にマッチできずに、時代の需要などから完全にずれまくっていても気付かなくなっているケースもあるかもしれません。
不快な人物はどのように扱えばよいか?わかってもらえるのか? サル山でサルは頂点(オスの第一位)を決めるときに、力の差をみせつけて頂点を選びます。 以前頂点であったサルもいつかはその頂点の座を他のものに奪われていくのが自然の摂理のはずです。 人間の場合その役目をするのは、子供や若い世代が積極的に「力の差」を見せてあげることかも知れません。 そうでなければ気づかないケースもあるからです(そのことで本人が損していることにも木津かなが場合もあるかもしれません) 古い世代の人に「力の差」を見せることは酷な面もあるかもしれません。 しかし、それもときには必要なこともあるはずです。 それでもサル山の頂点であると主張する人の場合
自分が仮に衰えていても、そのこと事態は認めつつも、まだ大丈夫と思っているケースも多いです。
たとえば、すこし話がそれますが、運転ドライバーは70歳程度から、高齢ドライバーと呼ばれているようですが、まだあと2,3年は大丈夫、いやまだ5年は大丈夫と自分では思っている場合が多いそうです。
しかし高齢ドライバーの事故率は、他の世代と比較して高いこともまた事実です。
他の世代ほどにはスピードは出さないものの、判断が鈍くなっていたり、見落としがあったり、そもそも大丈夫と判断するその判断基準もあいまいだったり、人によっては不十分な判だったりすることがあるかもしれません。
「大丈夫、大丈夫」
といわれても
「本当に大丈夫なのだろうか」
と周囲が気づいてあげなければいけない場合もあるのではないでしょうか。
事故、不都合が起きてからでは遅いことの中にはあるはずです。
そういう事故については事前に兆候が出た時点で、アドバイスしてあげることは仕方がないことかもしれません。
こちらが逆切れされて、不快な気分になるからアドバイスしない、ではすまないからです。
周りのほうが分析できていることもあるので長期的な損得の面からアドバイスすべきはしたほうがベターなはずですね。