■介護や手助けが必要な親から離れることは子離れ、親離れか?

■介護や手助けが必要な親から離れることは子離れ、親離れか?

介護とまでは行かないまでも親が忙しかったり、健康を損なったり、体に年齢を感じるような状態になった場合、成人したとはいえ、子供が親元から離れることは単純に

【親離れとして10割全部祝福されることでもない】

ような気がするかもしれません

なぜならケースバイケースで見ていく必要があるからです。

親離れとひとくくりに言葉で表現できないはずですね。

たとえば、

・おそらく老化が原因で生じる支障
・満足に論理的な会話をすることが難しくなってきた
・親ができなくなっていること発見してしまう
・体が無理が利かない
・迷惑電話などに対して判断力が鈍っている
・新しい電化製品等世の中の変化に順応しにくい
・周囲の人間から不利益を被っている(口車に乗ってしまっている)

するのを目の当たりにするとなかなか親元を離れることに罪悪感を感じるケースもあるはずです。

しかし親もわかっているはずです。

もっと言えば親の方こそ、

【自分の子供の未来を奪わないこと】>【老後の安心】

と言うことはわかっているかもしれません。老後の安泰を子供の犠牲の上に成立してては行けないと思っている面も多少はあるかもしれません

判断力が持続している限りは・・・そう願いたいです。

姥捨て山といって昔は農家が【食い扶持(人数)】を減らす為に、体の満足でなくなった場合は、

【老親を子供が背負って山へ置いて帰る】

という現代では考えにくいような風習もあったと聞いたことがあるはずです。

このような経緯から考えても、親が老化し、やがて自由も失って、満足に体が動かしにくくなることも自然の必然であって我々人間には対処しにくいことかもしれません

【自分の老化、周囲の人間の大きな人生のテーマの一つ】

のはずです。

簡単に答はでないことかもしれませんが、親は親で考えていますし、あなたはあなたで自分の人生を成立させた方がいいかもしれません。

おたがいに共倒れになっても誰も幸せにならないよりはできる範囲で協力しつつも、あなたの幸せを最大限(夢がたとえ叶わなかったとしても)追究したほうがいいはずですね

親離れとは自分の信念、価値観を優先するということかもしれません。それに365日24時間親を見ていなくても要所要所で気にかけてあげるだけでも変わってくることもあるかもしれません。

【親離れ=親を100%無視したり捨てることではなく】

・上手に共存する
・新しい関与の仕方を工夫する
・楽に手伝う方法を考える
・おたがいに楽しくいきるための仕組みを作る

つまり、

【リフレーム(今までの関与の仕方を捉えなおして組み替えて別の関わり方に移行する)】

ことのはずですね

タイトルとURLをコピーしました