■年齢を嘆くのはもっともつまらない
嘆く人は残りの人生を毎日年齢を嘆きながら過ごすことになるかもしれません。
「ああこんなに年をとってしまった」
「ああ昨日より1日をとってしまった」
「ああ大晦日だ去年より1つ年をとってしまった」
誰でもいえますね。年齢は嘆こうと思えばいくらでも嘆くことが可能だからです。
20代後半でも30代後半でも40代後半でも、
「年齢的にもう自分はおそすぎた」
「人生の先が見えない」
「自分には無理だ」
と感じて立ち止まりそうな人はいるはずです。
ほかに探せば楽しいことも見つかりそうですが、暇ななのか、本当に逃れようのないどうしようもない状況なのかもしれません、しかし年齢にフォーカスすることに多くの時間を費やしてしまっています。
もっと別の捉え方、見方はできないでしょうか?
「ああこんなに年をとってしまって笑える(笑)」
「ああ昨日より1日年をとってしまった、ところで自分は死ぬまでに何をしようかな?」
「ああ大晦日だ、1年なんてあっという間だ、1つ年をとってしまった。ところで1年で成長したことを振り返ってみようか」
など別の角度からも年月を眺めては見るのも1つの手かもしれません。
日々漫然と過ごしているようでも、成長がゼロである人は少ないはずですね。
また年齢と共にできないことも増えてきますが、それは自分ではなく、同級生は全員そうですし、もっと言えばすでにこの世から居なくなった人や、健康に動き回れない状況の人や、自由がほとんどない人と自分を比較してみて、嘆くほどではなかったと感じるケースもあるかもしれません。
目先にトラブルや、やるべきこと処理すべき事が山積みである場合も、問題点を整理することで解決に向けて動き出しているところではないでしょうか?
A 未解決 → 解決
B 未解決 → 解決手前 → 解決寸前 → 解決
Aのように瞬間的に解決できればBESTですが、実際はBのようにいくつかのプロセスを経た後に、最終的に解決に近づいていくという側面があるはずですね。
年齢に悩む場合には、そもそも焦っている理由はなんなのか?最短コースが現在は存在しないとしたら、3年回り道をしてでも達成する方法はないだろうか?
と考えてみるのも手かもしれません。
3年後には考え方やスキルが身についているかもしれませんし、考え方や目標も現在とは変化しているかもしれません。
年齢は確かに重くのしかかるように見えます。しかし若者だけが正解ではないですし、その年齢の成果を決めるのは自分の心だといえるはずですね。
もうすこし日々自分の生活と気持ちを上手にコントロールして、気持ちよく健康に生きるにはどうすればいいか?この機会に考えてみるのもよいかもしれません。
もしパートナーを探している場合には、探せば見つかることもあるので諦めないで探した方がいいかもしれません。
人生犬も歩けば棒に当たるで何事もトライしてみるまでは結果を100パーセント予想することは難しいはずですね。
思わぬ楽しいことももしかしたら自分の人生には残されているかもしれませんよ。
本当に楽しいことが100パーセント起きないとは誰も断言できないはずです。
後悔することで見えてくるものもあるかもしれませんが、堂々巡りするばかりで大して創造力を必要としません。
どうせなら人生が1センチでも楽しくなるように頭を使ったほうが、自分のためになるはずですね。
だとしたらこれ以上はもう悩む時間がもったいないかもしれませんね。