■変な人に遭遇するのは自分の責任か?
たとえば1日中家にこもっていれば誰にも会わずに天災以外はもしかしたら何の支障もなく暮らせるのかもしれません。
しかし”変な人に遭遇してしまった場合自分をせめてしまうケース”もあるかもしれません
・こんな変な人とわかっていたらもっと早い段階出来がつくべきだった。
・向こうの利益を優先してこちらのことはまったく何も考えていない相手だった
・しつこすぎてなかば押し売りに近い、辟易していることにも気づかないとはとんでもない人に引っかかったものだ
・自分の他人を見抜く眼力のなさに対して、自信を失って失望してしまった。。。
・この程度の眼力でこの先大丈夫だろうか、苦境にまた遭遇するのではないだろうか
と自分ばかりをせめてしまう場合もあるかもしれません。
でも、よくない人のアプローチを見抜けなかったからと行って自分だけをせめてしまうのはナンセンスなはずですね
相手もバカではないのですから、日々アプローチ方法を更新して、研究してうまくこちらの虚を突いてくることを練習しているから仕方ない面もあるかもしれません。
すくなくても”今回は気がついたのですからそれでよしとすべき”と言えるはずです。
失ったものも
・最小限のお金、もしくは0円
・最小限の時間、ほんの数時間~数日程度
得たもの
・この先同じ手には初期の段階で気づくことで回避できるようになる能力を得られた
・同様の手口を応用してこられても、ある意味免疫となる経験を獲得することできた
と言えるかもしれません。
失ったものは確かに多少はあるかもしれませんが、得たものも決してゼロではなかった場合には、きっと将来的に自分もしくは誰か大切な人の将来を守ることが可能になるかもしれません。
すくなくともこれ以上自分を責めるのはストップして、次回からの対応方法を獲得するためのコストだと思って消化してしまった方が、自分の栄養に変えていけるはずですね
いやな経験はこれからは門前払いグッバイできるのですから、そんな賢くなる知識が入ってきて今回の経験はウェルカムだったと思っておいたほうが精神衛生上も、何も経験しないことと比較して、何倍もよいかもしれません。
それにそもそもの話、人生において
・良いことの量
・良くないことの量
はどちらも大体同じくらいの分量になるケースも多いです。
ですから”良くないことの量”だけを自分のところへは決してやってこないように願うことはとても難しいといえるかもしれませんね。
良くないことはたぶんどのような人の元へもやってくるでしょう。
それを受け止めてどう対処して、それは将来生かすことまでパターン化するようにすればいちいち悩む時間も節約することが可能になるはずですね。
悲しい別れがあるからこそ、新しいすばらしい出会いが生まれるケースもあるからです。
現状にあまり一喜一憂せずに、現在は単に将来へとつながる”プロセス”であって、結果はだいぶ先になるまでわかりませんので、あせって結論を出す必要はないかもしれませんね。
長期的な視点で振り返ったときに決してマイナスオンリーではなかったと気づくときがくるはずです。